東北地方太平洋沖地震で被災された方々へ、心よりお見舞い申し上げます。

さて、アムウェイ追求その2は資料が揃い次第アップするとして、今回は震災後の奴らの非道な振る舞いを見聞きするにつけ、私が何故マルチ商法従事者達にここまでイラつくのか、二日酔いで回転しない頭を無理矢理回しつらつらと考えてみた。

どうもまとめるとこういう事らしい。

頭の中で比較するのは、同じく社会の異物である、任侠集団とである。
何故なら、社会から疎まれ・法律で厳しく規制され・警察からも注視、注意喚起されている集団としての類似点が多数あるからだ。

もう一つ、知人がいて内部事情が良く判り、マルチ商法と同じように 友人をそこで亡くしている ということも非常に良く似ている。

それなのに、私は任侠集団に対して恨みを持ったことはない。
翻ってマルチ商法には恨み骨髄である。
この違いはなんだろうか?

・まず、任侠集団は押し付けがましく勧誘することをしない。何故なら能力(シノギ・武闘)の無い奴は必要ないからだ。単なるはみ出し者を受け入れることはあるが。経済活動や示威活動する際にも、ある程度の人数は必要だからである。
マルチ商法集団は、ご存知のように少しの隙でもあれば勧誘する。勧誘相手の能力などお構い無しだ。何故なら、能力の無い奴ほどカモに相応しいからである。知人が多い、または経済力がある無能力者ほど美味しいカモはいない。

ただしどちらも、幹部クラスは切れ者でなければならない。当然ボンクラばかりでは集団を運営できないからだ。

しかし、この程度の差では私の心うちのわだかまりは晴れない。
もっと根本的何かが違うはずだ。

そこではたと閃いた。

任侠集団を美化するわけではないが、「矜持」が違うのだ。
腹の据わり」「覚悟」と言ってもいい。

任侠集団は「社会の異物」であることを自覚し、その中で生きていこうともがいている。悪いことをしている、という自覚を常に持っているが、それをしなければ生きていけないという後ろめたさをも飲み込んでいる。
マルチ商法集団は「社会の異物」である事を自覚せず、自己正当化を内外に向けて発信する。自分達はポジティブな考えを持ち、社会に貢献できるのだ、とトップ、幹部以外は思わされている。
それを「洗脳」「マインドコントロール」と一般人は感じる。外部の人間には甚だ迷惑な行為である、しつこい勧誘や商品のベタ褒めは、そういう心理をミーティング、セミナー、ラリーなどを通じ常態化(洗脳維持)させることによって罪悪感無く行われる。

任侠集団は、厳格に責任を取る集団である。言わずとも判ろう。不細工な失敗は、自分の体を欠損する事、究極は命によってけじめをつけるのである。
マルチ商法集団は、たとえグループのトップであろうと何かの責任を取るということはまずない(会社のトップは別)。会社が違法勧誘によって業務停止を喰らったとしても、グループトップ達は「こんなのは駐車違反程度のものだ」などと嘯き、反省する事は一切無い。反省し謝罪をするということは「自分達が間違った事をしていた証し」になってしまうからだ。反省などというネガティブなことはご法度なのだ。
そんな暇があったら、少しでもたくさんカモ候補に電話し、割高な商品を売る(買い込む)事を優先させるべきだ、と教え込まれる。
自分達が蒙った不利益は「常に自分達以外の無理解」に起因していると彼らは考える。その考え方を先鋭化させてしまい、近来稀に見る異常な宗教集団となってしまったオウム真理教と、その部分については同じなのだ。

ちょっと小難しくなってしまったが、お判りいただけただろうか?

もちろん任侠集団にも逸脱するものはいるし、マルチ商法集団にも比較的穏健に活動しているものはいる。
しかし総体として考えてみると、任侠集団の持つ『覚悟』は「私の日本人的気質」に響いてくるが、マルチ商法集団の持つ『無責任・無自覚』はただひたすら癇に障るのである。

今回の地震において、「日本人の美徳」が海外から賞賛されるものの、避難所で勧誘や販売を繰り返すというマルチ商法従事者(特にアムウェイ)の話を聞くに及び、以上のような差異、強烈な違和感をあらためて認識するのであった。